あるのだが、なにやら少しずつ成長している模様・・。
「取ってあげますよ」、という整形外科の先生に会えたので、この仕事が
切れている間に手術してもらった。
手術日の一昨日、「何かあったときのために」と、血管確保のための点滴
をされ、抗生物質の注射をされ、麻酔は左腕全部、腕のつけ根の圧迫・・
「何かあったときのために」の何かって??
ほんの小さな手術のつもりでいたんだけど、なんかものものしい(ーー;)
で、20分くらいと言われていたのに、結局、正味一時間もかかってようやく
終了。
その間、じっと天井を見ていた。
今だに手の腫れはあるけれど、この程度の傷はあと数日たてば治るし
予定も立つ。
心配なのは心に計り知れない大きな傷を負った方たち、そして子供たち。
たとえ傷が癒えることがなくても、せめて日々の生活ができるようになって
欲しいと祈る。
3月31日 融けそうな大きな夕日が雲に沈む
「ファントム」上・下巻(スーザン・ケイ)、「老いの才覚」(曽野綾子)、
「三陸海岸大津波」(吉村昭)、「星の王子様」(サン=テグジュベリ)
と、まったく一貫性がない。
その中で、「三陸海岸大津波」は、吉村ファンの私が何年か前に読んで
いたのだが、この震災のあと開いてみた。
前回読んだときは、過去の記録として読んでいたのだが、今回はさすがに
読み進めることができなくて、少し読んではページを閉じ、また気を取り直して
開き・・を繰り返した。
吉村氏の記録小説は現地調査、関係者のインタビューと膨大な資料収集
からなることは知られているが、この本は特に、記録部分が多いと感じて
いた。
吉村氏が明治29年の津波を経験した人に話しを聞いた時点で、50メートル
にも及ぶ津波がきていたのではないかと思われる記述がある。
それなら今回の地震による津波はけして想定外ではない。
それでも、この土地の人たちはここに住むことを選び、自然と闘いながら
生きてきたのだろう。
でも原発は何故この近くに?
例のごとく、札幌で一人暮らしをしている私の息子へとお米やら
カップ麺やらを詰め込み、頂きものの商品券までしのばせている。
カップ麺も、自分の非常食として買っておいたものらしいのに。
実家を後にしてから、娘とその子供たちとラッキーピエロで
待ち合わせをしていたので軽くランチしながら話しをした。
久々に会ったのだけど、4歳と8歳の孫たちのうるさいことといった
ら・・・。
この年頃の子供ってこんなにうるさかったっけ??
自分の子供なら叱りつけるところだけど、そんなこともできず(ーー;)
まぁ、元気でなにより。と思うことにしよう。
会ったときと同じく、盛大に見送られて出発する。
帰りは高速に乗り、走ってきたが、ところどころで吹雪。
さすがに道路に積もるほどではないけれど、
途中のSAでは今だ雪景色で、ふわふわの雪が綺麗だ。
今回はひとりで帰省したので、みゆき様の歌はかけ放題。
でも、「永久欠番」や「誕生」で、被災された方たちのことが思い出されて
涙が止まらなくなる。
Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること
<「誕生」 by 中島みゆき>
自分はなんて無力なんだろう・・・。
瓦礫が撤去され車が通れるようになり、救援物資も届き、少しずつ
復旧が進んでいる中、まだ多くの行方不明の方たちがいて、
取り残された避難所の人方たちや半壊の自宅で生活を余儀なく
されている方たちには救援が届かない。
そして毎日のように数値が変わる原発事故の被害の拡散。
新聞のコラムにもあったけれど、こんなにも人間の手に負えないもののを
なぜ生み出したのか、使用したのか。
エコと称して、電気がもてはやされ家電はもちろん車までも電気使用の今、
こんなこともなければ、考えることもしない自分も情けないと思う。
お天気が安定せずに延ばし延ばしにしていたが、先日帰省してきた。
前日もまだ雪が降っていたので峠を避けて、小樽回りで走ることにした。
小樽でお土産のお菓子を買うが、いつもの観光バスの姿はほとんど見かけ
なかった。
ニセコで野菜、少し戻って喜茂別の湧水の里のお豆腐など母に頼まれた
買い物をしつつ、7時間かかって実家に到着。
雪の羊蹄山は凛々しく
実家は津軽海峡に面した小さい集落で、たどり着くまでの小高い山を切り崩した
海岸線が続く。
海は凪いで輝いていたが、時化て波が高くなれば、道路に波しぶきが上がるような
ところだ。
運転しながらもし今、この海が膨れ上がれば、逃げ道もないし、ひとたまりもなく
呑み込まれるのだろうと想像してしまう。
実家にしても道路を渡れば海。20メートルもない。
こんな土地はいたるところにあり、そこに住んでいる人たちは皆、この津波の
被害は他人事とは思えずにいるだろう。
思いにもなるけれど、一方被災された方たちも動き出しましたね。
女性たちは炊き出しをし、男性たちは瓦礫と化した家の片づけをし始める。
そんな力強い姿を見る一方で、寒さ震える人も多く映し出される。
ずっと考えていたのだけど、ライフラインに影響のなかった近隣の町で、
避難所の人たちを、ホームスティのように一時的にでも同居させてくれる
家庭を、募ることはできないものなのだろうか?
小さな子供がいる家族や体力のないお年寄りなど、暖かい部屋とお風呂が
あり、布団で眠るだけでも肉体的な疲労は回復すると思うのだけど。
手をあげてくれる家庭に、ひとりでも二人でも身を寄せることができたら
いいのに。
北海道でも空いている公営住宅を用意したとのことなので、落ち着くまでに
うちでもよければ来てほしいのだが。
バタバタと仕事をしていたとき、揺れ始めた。
気持ちが悪くなるようなゆっくりとした横揺れが長く続き、不気味さを
感じていた。
帰宅してから、テレビの画面に繰り返される目を疑うような光景。
被災された方々には、あまりにも残酷な現実。
理屈ではわかっている。
地球を覆うプレートの上の小さな島国の日本、地震や津波はいつでも
起こりうるということ。
それでも、なぜ?と思わずにはいられない。
被災地の方たちは、少なくとも地震の一時間前には、仕事をしたり、
家でくつろいでいたりといつもと変わりない日常を過ごしていたはずだ。
それなのに・・・。
ひとりでも多くの救出と、一日も早い復旧と、そして犠牲になられた方の
ご冥福を、ただただ祈るばかり・・・。
私はずっと犬派だったのだけど、最近、猫と暮らす生活をあれこれ
思い描いている。
だけど夫は飼うなら犬で、猫は絶対ダメ、とのこと。
ま、どちらにしても二人とも仕事をしているうちはかわいそうなので
ペットは飼わないことにしてるのだけど。
ということで『岩合光昭写真展「猫」』に行ってきた。
今日は岩合さんのサイン会などもあるせいか、早めに行ったにも
かかわらず結構な混雑ぶりだった。
猫好きな人って多いのね。
それにしても岩合さんの写真の猫は動きだしそうなくらいに生き生き
した表情をしている。
一番好きな写真がポストカードになってないので、図録まで買ってきて
しまった。
当分は写真で楽しもう。
今日の夕陽は雲に埋もれるように沈んだ。
ズームしたら暗くなってしまったけど、輪郭はくっきり。
で、思わずあいさつをしてしまった(^_^;)
ああ、この間のシリウスのように、私に何かを語りかけてくれているみたい。
思い込みでもいいの。
今日も悩めるものたちを見守ってください。
その時はまだ空は真っ暗だったけれど、で明るくなってから撮ってみた。
職場で、Kちゃんがティーポットにお茶を入れてきてくれたので、自分の
カップに残っていたお茶を飲み干そうとしていたら、Kちゃんのジョークに
反応してしまい激しくむせた。
今まで生きてきて、あんなにむせたのは初めてだ
いやもう溺れた感じ
油断大敵、一寸先は闇・・・。
一気飲みは危険だ・・じゃなくて気を抜いてはいけません(ーー;)