もの思う
「命日」ってどうして命の日と書くのだろう、・・なんて思ってしまった。
命が尽きた日だから?
そして命って何?などと考えてしまって・・・。
先日の作品展で写真で
「生きることも 死ぬことも
神の意のままというなら
神はエゴイストではないのか」
という言葉を添えたら、さっそく、「神は愛です!」という書き込みを
頂いた。
はい、反論は覚悟の上の確信犯ですm(__)m
でもけして冒涜ではなく、正直な気持ちでしかない。
なんの落ち度がなくても、苦しみながら死ななくてはいけない人が、
どうしてこうもたくさんいるのか。
友人の命日と、自分を飲み込もうとしている大きな波を前にあれこれと考えた一日。
なんだかんだといいながら、私はひとつの大きな波をやり過ごして、えも言われぬ
開放感と虚脱感の中にいる。
自分の努力で乗り越えたわけでもなく、ただ運が良かっただけのことだ。
この世の中、努力だけじゃどうしようもないことがたくさんあって、たくさんの人が
他の人には見えない重い荷を抱えている。
それでもどうせ生きなくてはいけないのなら、笑えるうちは笑っていなければ。
終焉のときは望む望まないとに限らず、必ず来るのだから。
今日は、みゆき様の「重き荷を負いて」が頭をぐるぐるしている^^;
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