もの思う
昨日、中学のときの同級生の訃報を知る。
知らせてくれた友人も、彼女が闘病していたらしいとだけで、
詳しいことは分らないという。
亡くなった彼女にはもう長いこと会ってはいない。
昨日はただ驚いて、どうしてしまったのだろう・・と思うしかなかった。
今日になって、仕事中のふとした瞬間に中学時代の彼女のことが断片的に
次々と思い出されて動揺する。
一番最初は、出席番号順に並んだ座席で隣同士だった。
多分、私が教材か何かを忘れたときに、彼女が見せてくれてから親しくなった。
それからも彼女はいつも私に優しくしてくれた。
早く結婚した彼女は古里を離れたので、帰省のときに数回会ったくらいで
その後はたまに地元の友人に噂をきくだけだったが、元気でいるとばかり
思っていた。
年を重ねて、悲しいことは訃報に接する機会が少しずつ増えていくことだ。
まして同じ時間を生きた友人の訃報はつらい。
誰が人の運命を決めるのか。
私たちはただ決められたレールの上を歩いているだけなのか。
どこで途切れるのかも知らずに歩くしかないのか。
帰宅の時間には雪は冷たい風とともに舞いはじめていた。
電車を降りて自宅に向かう道、涙をこらえきれなくなる。
「苦しみから解放されましたか?」
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